「いい話」と思考能力…の、逆

「いい話」は思考能力を奪うよね続・「いい話」は思考能力を奪うよね続続・「いい話」は思考能力を奪うよね を読んで。
これって、逆のことの方が一般的…じゃないかなぁ。つまり、『「嫌悪感」は思考能力を奪うよね』という話で。
言ってることが仮に正しく、言われた側にとって(本来は)納得のいくものであっても、「あんなやつの言うことなんて」「あそこ*1に書いてあることじゃ」「とにかく言い方が気に入らない」とか、そういった理由で否定してしまうということの方がままあるんじゃないでしょうか。
で、とりわけ問題なのは、例えば「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言いますが、袈裟が憎いときに坊主が憎いからだ、と気がつくことができない場合があること。袈裟が憎い場合に、「デザインが気に入らないんだよね。見てるだけで吐き気がする」とか「どう考えても一般人を見下すためのデモンストレーションだ。とうてい受け入れられない」とか、そういう理屈を捻り出し*2、かつ、それが理由だと信じてしまい、坊主のことなんか忘れてしまう。本当は、坊主(それも坊主全体どころかある特定の坊主)が憎いだけなのに。
まぁ、NOV1975さんが『「いい話」は思考能力を奪う』という話で想定されているのは、理論とかとは無縁なケース…が、ほとんど、の場合に関してのことのようなので、上のような例はあまりないかも知れませんが。ネット上に限らず議論が白熱し過ぎている場合、双方が実は関係のないところに嫌悪感を持っていて、それで叩き合ってるだけなんじゃないか、と思われることもあるので、ちょっと書いてみました。

*1:2chとか?

*2:袈裟なんて憎んだことがないからわかりませんが(^^;